穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

ハグが解決するもの

私はひどく心配性である。

そんでもってなかなかに情緒が不安定である。

 

 

 

身体のどこかが少し痛いだけで、

きっともう私は死ぬんだ・・と思ってしまう。

さっきまで元気だったのに、

突然この世の終わりであるかのように落ち込んだりもする。

 

 

 

ここ数日下腹部がじんわり痛く、

元々のアレルギー性鼻炎による鼻詰まりと頭痛が相まって

全体的に調子が悪い。

実感している痛み自体は大した事がないにも関わらず、

頭の中の不安はどんどん膨れ上がって、

勝手に死に直面している。

想像で膨らむ不安がさらなる不安を招き、

体調をさらに悪化させている気もする。

 

 

 

 

それに対して彼は

体の痛みは私なんかよりも日常的に感じているはずだけれど、

「死ぬときは死ぬ」ぐらいのスタンスでいる。

もちろんまだ死にたくはないけど、

私みたいに想像の中の不安に

飲み込まれるということはないらしい。

 

 

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不安でいっぱいなおさかなさんと彼

 

 

去年の夏、健康診断で要精密検査になった私は、

検査で大きな大学病院に何度も通う羽目になった。

 

 

 

元々健康診断の採血のことを考えるだけでも

数週間前から怖くて精神が不安定になり、

実際に採血後貧血でふらふらになるようなビビり人間。

病院通いの1〜2ヶ月の間に採血をされすぎて、

流石に採血程度ではなんとも思わなくなったが、

初めて受ける検査や、検査結果を聞きにいくのはどうにも怖すぎて、

病院に行くときはいつも彼に付き添ってもらっていた。

通院の前日は毎回不安がって彼を困らせていたと思う。

 

 

 

 

車椅子ユーザーの彼は、病院にいると患者だと思われがち。

私がつき添いであるかのように見えるのだ。

しかし実際は私が患者で彼は付き添い。

一見すると私が彼を支えてあげているように見えるけれど、

支えられているのは私であることの方が多い。

 

 

 

今日は久々に彼に会えない日なのに、

そんな日に限って不安が爆発している。

いつもどれだけ私の際限ない不安を受け止めてもらっているのか、

こういう時に痛感する。

 

 

 

 

死んじゃったら大切な人に会えなくなっちゃうの寂しいな。

 

 

 

 

初めて死の概念を理解した小さな子供みたいに

悲しくて寂しくて涙が出てくる。

みんなは一体どうやってこの事実と向き合っているんだろう。

この事実と向き合いながら、どうやったら笑いながら暮らせるんだろう。

 

 

 

 

こんなことを日々考えていると、

今生きているありがたさが浮かび上がってくるのもまた事実。

身体は日々死に向かっているけれど、まだ死んでない。

死ぬまでは、なんとか生きなければ。

想像の中で死ぬのも、ほどほどにしたい。

 

 

 

 

不安はすぐにはいなくならない。

解消のために行動をしなければならないこともある。

ただ、ずっと一人で抱えていた不安を、

一緒に受け止めてくれる人がいることが、

私にとっては奇跡みたいに思える。

今日は会えないけれど、明日会えたらハグしてもらおう。

そんなの子供みたいで恥ずかしいって思っていたけど、

本当はそれだけで解決するものだって、あるはずなんだ。