穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

あ、としのせだ

2020年ももう終わりだね。ということで、ブログを始めてみてどうだったか、ちょっと二人で振り返ってみよう。私が最初にブログやってみない?って言った時はどう思った?

僕は書くこととか、伝えることは嫌いじゃないけど、 続けることが得意じゃないから、ブログも続けられるイメージができなかった。 けど、二人で一緒にやるっていう方法をとることで無理なく自分のペースで残したいものを残すことができて、 当初の想像に反して割と楽しくできているな。おさかなさんはさ、ブログは毎日書くものって思ってるじゃん?

え、そんなことないけど。定期的に続けたいとは思ってた。

最初は、もっとゆるっとやるんだと思ってたから、結構ストイックだなと思った。 でも”二人で毎日更新する”っていうノルマが明確なおかげで、「僕もそろそろ書こうかな」っていうタイミングが作れるようになったから、 継続するっていう意味では、おさかなさんの思惑が成功しているということなのでは。

思う壺。

もともと何かおさかなさんと一緒にやりたいとは思ってた。おさかなさんの文章に自分が絵を描くっていう、二人で一つのものを作って誰かに見てもらえるのは嬉しいから、今のところ思ったよりわくわくしながら取り組めているかな。

最初はブログにイラストつけることを考えてなかったけど、 途中から私の文と彼の絵のコラボレーションみたいなスタイルが確立して、一緒に作ってる感がでてきたね。 私の文章がテーマが重かったり、言葉が堅苦しい時も多いけど、彼のイラストがゆるいことでバランスが取れたり、和む要素になっている気がする。 「彼」の存在が私の文章と一緒に読んでくれている人に伝わる気がして、いいなと思ってるよ。

なんか頻度ていうか、書く回数はおさかなさんの方が多いし、 特に最初のうちはおさかなさんばかり負担になってるのはよくないなと思った。

最初のころは私が「もっと書いて」ってぷんぷんしてたね笑

でもおさかなさんが書いた文を読んで、それについて「こういう絵を描こう」っていうのを考えて、 おさかなさんが書いたものがそれだけで完結せずに、僕の要素がそこに入っているから、 更新したときは、自分ごととしてドキドキするし、もっと見てもらいたいって思う。 それぞれの作品がそれぞれ独立しているより、より自分のものとして愛せているような気がしている。

わかる。そうだな。投稿のスタイルについての振り返りはそんな感じかな。ちなみにブログの内容については何か思うことある?

当初は自分が記事を書く時は、僕から見える「おさかなさん」について書こうと思っていたんだけど、 書いているうちに、おさかなさんのことを書くことと、自分のことを書くことに境目があまりないことに気づいた。

と、いいますと?

おさかなさんのことを伝えるために、自分の気持ちを書かないと伝わらないことが結構あって、 そこに線は引けないということに気づいたいと言うか。

うんうん。

これはブログを書きはじめてから発見したことだったんだけど、 僕の見ているおさかなさんを書くためには、自分の気持ちと向き合わなくちゃいけないと言うこと。 たまに書いた記事が自分のことばっかりになることがあるけど、 それは、”おさかなさんのことを書く”という自分の最初のポリシーから必ずしも逸脱はしていなくて、 そこを許容できたことで、書くときのストレスはだいぶ減ったと思う。

相手を見ることで、気づく自分の側面があったり、 相手に抱く感情で自分の価値観に気づいたりするから、結局キレイに線引きはできないよね。

そうなの。

お互いの気づきを記録することによって、 それを読んだ相手にも新しい気づきがあったりして、 これまでの生活の中でもたくさん話はしてきているはずなのに、相手について知らなかったこととか、 聞くきっかけすらなかったことに触れる機会が圧倒的に増えたよね。 私はあまり口頭で話すのは得意じゃないけど、文字だと割とすんなり書けるから、 自分の気持ちを理解してもらえているという安心感は増した気がする。

実感値として、喧嘩が減った笑
「そこ溜め込んでたのね?」みたいなのが前は結構あったんだけど、 もやっとしたものが残っている時に、ブログに書くっていう選択肢がある。 これまでだったらその場で飲み込んで、なかったことにしてしまう”もやもや”が、ブログという手段によって居場所を与えられた感じ。

わかる。

この間の「邪魔?」のくだりとか、ブログがなかったらそのまま流れて行ってたと思う。 僕はこいういう気持ちだったよっていうのが書けて、それに対しておさかなさんのレスポンスがあって、 おさかなさんが「意地悪」をしたって言うのを聞いて、少し安心したの。 ブログがなかったら認識がずれたままになっていたものの、擦り合わせの機会になっているというか。

あれは必要だったね。

答え合わせの場が設けられることは、次に活きるし、 「あ。これ嫌なんだな」とか、対策ができるじゃない。それは、すごくいいなって思う。

例え間違っても修正できるよね。

あと、言い方としてあまりよくないかも知れないけど、 おさかなさんがブログを書いている時間は僕が何をするか選べる自由な時間になってる。 これまでは余った時間をどう使うかで揉めたりしてたけど、毎日必ずある1時間。この時間に自分のやりたいことやろう、 ゲームやろうとかできる。これは意図してた訳じゃないと思うけど。

あ、でもその効果は狙ってた。

あ。そうなの?僕は副産物だと思ってた。 「ブログ、後どのくらいで終わる?」って確認しながら自分のしたいこともできるし、 時間配分のイメージの基準になってる。

夏からずっとキャリコンの資格試験の勉強を1日1時間〜2時間していたけど、 それが終わって、きっとまた時間の使い方でもめるんじゃないかと思ってた。 それぞれの時間を尊重するっていうのがずっと課題だったから、 結果的に、毎日の勉強時間が自然な形でブログに置き換わったような感じ。

 

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唐突に現れるサメのガブちゃん



 

いっこさー気になってることがあって、おさかなさんは一番誰に伝えたいと思ってブログ書いてる?

ん〜その時によるかも。自分自身に伝えたい時もあるし、彼に伝えたい時もあるし、 同じ思いをしてる人に届いたらいいなって思ってる時もある。彼は?

僕は、もうなんか、おさかなさんなんだよね。 「この気持ちが伝わったらいいな」の対象は基本的におさかなさんだなぁ。いつも、 思ったこととか、感じたことがあったら、できるだけその場で言語化しようとするんだけど、それが足りてない時とかは、ブログ書きたいってなる。

そうなんだ。

これ伝えきれてないなとか、この気持ちは口でいうにはちょっとハードルがあるなっていうのが、 ブログだったら平和に話ができそうっていう使い方があったり。 それこそこの前の「おさかなさんのいぢわる」の記事の時はそうで、 あれが起きたとき、あーこれブログに書こうって思ったんだよね。 この気持ちを書き出す場所がある、後で伝えられるなって思ったから、その時あんまりしんどくなかったんだよね。 その場では笑って誤魔化してたり、伝えるのが結構しんどい時あるんだけど、 今無理して伝えようとしなくていいって思える。

なるほどね。

ブログを書くことで、自分の人生観、考え方に関しても、影響を与えているような気がする。 これまではその場で発信するしゃべり言葉に依存していて、その場で伝えられなかったことについては、 なかったことにしちゃうというか、諦めちゃうのが当たり前だった。けど後から自分の気持ちを振り返ったりとか、 「あ、この気持ち後で伝えたいから置いておこう」とか、 余裕をもって自分の気持ちと向き合うというスタンスを身につけるきっかけに、 狙ってじゃないけど、なっている気はするかな。

 

と言う感じで、

元々は3つくらいのテーマで話そうと思っていたのですが、

1つ目のテーマ「ブログはじめてみてどうだった?」

で盛り上がりすぎてしまい、

話が全然終わらなくなってしまいました。笑

長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました!

 

 

私はブログをはじめて、

上記のように期待していた効果ももちろん得られているのですが、

それに加えて、自分以外の人のブログを読む楽しみが増えたのが

結構大きいなーと思っています!!!

そしていつも「穴があったら踊りたい」を読んでくださり、

コメント・ブックマークやスターを付けてくださる皆様にも

本当に感謝です。めちゃくちゃ励まされております・・・!

 

 

 

彼曰くブログはじめたことについて一言でまとめるなら

「結構いい感じ」

とのことです笑

雑か・・!!

 

 

 

そんな訳で2020年11月から始めたブログですが、

2ヶ月弱、大変お世話になりました!

2021年も二人の平凡で特別でデンジャラス(?)な日々を

暖かい目で見守っていただけますと幸いです^^

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おさかな年とは