穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

彼が自分でできることまで手を貸す私が育んでいたもの

上着を着るのを手伝ったら怒られた。

 

持病で体の動きが思い通りにならないことが多い彼。

上着を着る様子を見ていても、

力づくで着ようとするので破れてしまうのではと心配になる私。

ついつい袖に腕を通しやすいように手伝ってしまったのだ。

 

どうやら彼は上手に着れる方法を編み出している最中だったらしく、

私が手伝ってしまうとそれが検証できないとのこと。

これはこれは、失礼した。。。反省です。

 

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体に布団をかける、枕の位置を調整する、薬を貼る、

衣服の脱着、食事を口に運ぶ、食器の片付け。

普段はヘルパーさんもいるので、もちろん私ばかりではないが、

彼の薬が効いていない時は、どうしても誰かの手が必要になる。

私はそれについて嫌だなとか面倒だなとは思っていないのだけれど、

彼の立場で考えてみたら、

自分で自分のことを完結できない状態は、

なかなかにストレスフルだ。

 

彼は私とお付き合いを始めた頃、

ヘルパーさんに入ってもらうことや、

他人に生活の介助をしてもらうことに強く抵抗感を持っていた。

彼は薬が効いていれば大抵のことは一人でできるので、

一人でもなんとか生活はできる。

ただ薬が効いていない時間の不便さ、 

例えば食べたい時にご飯を食べられないとか、

心地の良い生活空間を維持できないとか、

そういうことさえ我慢できれば、まぁ生きてはいけるのだ。

 

できれば他人に自分の弱いところはみられたくない。

誰かの助けがなければ何もできないなんて、思われたくない。

だったら、まぁまぁ不便でも、一人で生活する。

そういう気持ちもあったのかもしれない。

逆にヘルパーさんや誰かに生活の介助をお願いすることは、

自分の弱さを自分で認めた上で、

曝け出して、他人に委ねるということ。

 

これは、全然簡単なことじゃない。

 

病気の有無に関わらず、

私だって自分の弱さを認めることはハードルが高い。

自分の心の狭さや、苦手なもの、かっこ悪いところ、

なるべくなら自分でも見たくないし、

ましてや他人になんて見られてたまるかというもんだ。

弱点を晒すなんて、自然界なら危険極まりない行為だろう。

 

彼は持病の関係で、ある意味それをせざるを得ない状態だ。

でもそれは本当に屈辱的で危険でしかないことなのか?というと

そんなことはないと、私は思う。

 

できないことを、できないと言えること。

助けが必要な時に、助けてと言えること。

相手を信頼して、委ねること。

これは人として、

とても成熟した機能なんじゃないかとすら思う。

そしてこれは、委ねられた相手に与える影響も大きい。

信頼して、委ねてもらえることがどれだけ嬉しいか。

うまくいけば、win-winな関係性を築けるのだ。

 

もちろん相手やタイミングを間違えれば危険でしかない。

搾取されたり、虐げられたりすることもあるだろう。

だからこそ関係性が大事で、

理想的な関係性は、そう簡単には構築できないのが現実でもある。

 

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私たちには、それぞれできないことや苦手なことが色々あって、

一人で生きていくこともできなくはないけれど、

互いに支えあいながら生きることを選んでいる。

迷惑をかけたり、かけられたりしながら、

自分と相手の弱さを受け入れて支え合おうと、なんとかやっている。

そんな中、私も彼の支えになれる部分はなりたいと、

信頼して委ねてもらえるようにと思ってやってきたつもりでいたけれど、

もしかしたら私は彼が求めていない助けまで、

自分都合で与えていたのかもしれない。

そしてそれは、愛情ではなく、支配欲の現れなんだと思う。

「彼には私がいなければいけないんだ」という、

私の中で見なかったことにしていた、強烈な欲望なんだと思う。

 

自分でできることまで、やたらと手を貸す。

 

そんなことが定着しつつあったように思う。

同棲を明確に目標にしてから、彼の行動は少しずつ変わってきた

薬が効いていて動ける時は、

なるべく自分で自分のことをしようとしている。

これまでは彼の中にも「甘え」はあったと思うけれど、

その間、私の中には着々と「支配欲」が育まれていたのかと思うと、

恐ろしくて恐ろしくて仕方がない。

 

彼が「そうじゃないとき(=体が動く時)にできることをしよう」なら、

私は「そうじゃないとき(=体が動く時)にできることを奪わない」だ。

上着を着ようとしているのを手伝って怒られて気づくくらいだから、

意識していないと案外難しい。

一緒に生きていくと言うことは、

それぞれが自立しながら、支え合うということのはず。

私は私のやるべきことに集中すればいいのだ。

二人、一緒にいられるようにね。

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この記事を読んだ彼が描いた「手押し相撲」するおさかなさんと彼の図