穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

対等な二人であるために

今日はとっても暖かくて天気がいい!

ということで、先週いく予定だったスタバへ二人でお散歩に決定!

 

実は彼がイラストをプレゼントした方から、

お返しにスタバのカードをいただいていたのです。

しかも「おさかなさんと一緒に使って!」と言ってくださったらしく、

ありがたく恩恵を受けさせていただきました><

嬉しいですねぇ・・・・感涙

 

本当はホットのティーラテを頼むつもりで行ったのですが、

外があまりに暑いのでうっかりフラペチーノを頼んだ私たちは、

飲み終わる頃までには肌寒くなっていました笑 

コロナでなかなかカフェにいくこともなくなってしまったので、

テイクアウトではありましたが、

二人でちょっと贅沢な時間を過ごせて大満足!

f:id:anaodo:20210221220709j:plain

紙袋の中まで桜で可愛い!!

(袋の中にはさくらドーナツ&スコーン)

優雅なティータイムの後、彼からの交渉がありました。

 

彼「僕、今カラオケ行きたいと思ってるんだけど、

  おさかなさんちょっと付き合ってくれない?」

 

歌うことが大好きな彼。

緊急事態宣言下にあるため、ずっとカラオケを封印してきました。

今日は一緒に生活している私と二人だったということもあり、

少しだけねということで行くことにしました。

 

久々のカラオケを二人で楽しんで、帰り道。

 

彼「今日、カラオケ行きたいって言うだけじゃなくて、

  それにおさかなさんに付き合って欲しいっていう意思を

  言葉にして伝えられたのがすごくよかった。」

 

ふむ。どういうことだろう?

 

彼「普段だったらカラオケ行こうよ〜って言って、

  おさかなさんがいいよ〜って言って終わりだと思う。

  でも今日は僕がやりたいことにおさかなさんに付き合ってもらう

  僕のためにおさかなさんの時間を使ってもらうこと、

  それを明確に意識して言葉にして、

  おさかなさんもそれに同意していることが明確だったから、

  僕のやりたいことに無理やり付き合わせちゃってるかな?

  っていう不安がなくて、とても楽しめた。」

 

なるほど。

最近私が自分の意思についてとても意識しているので、

必然的に彼も同じように意識せざるをえない状態だ。

これまでは私が無意識に彼に合わせてしまっていることもあったけど、

そこに彼なりの不安や罪悪感みたいなものもあったらしい。

だから「僕はこれやりたいので、一緒にやりませんか?」と言うことで、

相手を付き合わせているという事実は変わらなくても、

相手もそのつもりで一緒にいてくれていることが明確になる。

だから変に不安になる必要もないし、

今日は僕に付き合ってくれてありがとうという気持ちにもなる。

結果として二人とも楽しめたら儲け物なのだ。

 

ただ、それと同時に

言葉で明確に同意さえとれれば、

本当の同意だと思い込むことは、

それはそれで危険だねという話もした。

 

彼「これしたいけど、いい?」

お「いいよ。」

彼「本当におさかなさんの意思でいいって言ってる?」

お「うん、私の意思でいいと言ってる!」

 

この「いい」が本当の「いい」かどうかは、

正直どこまでいってもわからないのが現実だからだ。

その時の二人の関係性とか、心の状態とかによっては、

「いい」と思ってなくても「いい」と言ってしまうこともあるだろう。

だから言葉で「いい」と表明されたからと言って、

それを不本意に言わせている可能性はゼロではない。

 

だからお互いに「意思」と「表出された言葉」にズレがあったら、

なるべく早めに修正した方がいいし、

「表出された言葉」だけを絶対視して、

「いいって言ったじゃん!!」みたいなことにならないように

気をつけていかなければいけないね、と。

 

 

彼はとてもマイペースで、

自分のやりたい事をやりたい時にやりたいようにやる。

もちろん私への気遣いをしてくれてはいるけれど、

変に気を使いすぎずに二人でいても自由に過ごしている。

逆に私は無意識に気を使いすぎて、

合わせて欲しいと言われていないことにも合わせてしまう傾向がある。

彼が心地いいように、言われなくてもニーズを察知して、

頼まれる前に自分から動いてしまうこともあるので、

私が彼に気を使っていることすら、彼には気づいてもらえないのだ。

 

日本の文化的に、言われなくても察するとか、

相手の希望を汲み取って合わせるみたいなのは、

美徳とされてきたところではあるのだろう。

サービス業とかだったらそれもある程度必要かもしれない。

でも、対等な関係性の二人が一緒に生活する時は、

「やって」と言われたことを「やってあげたければやってあげて」

「やってもらった側」は「やってあげた側」に適切に感謝する。

そういう関係性の方が余程精神衛生上いいなと思う。

f:id:anaodo:20210221231639j:plain

中島みゆき「ファイト」を熱唱するおさかなさんと

久々にカラオケに行けて喜ぶ彼

今日は「僕が行きたいカラオケに付き合って欲しい」と言われて

特に嫌じゃなかったので「いいよ〜」と言った私でしたが、

「一緒にカラオケ行けて楽しかった、ありがとう」

という気持ちを彼が伝えてくれたので、

私も嬉しくなってWin-Winだなと実感。

 

いやぁ〜毎日、学びが沢山ありますね・・。

他人と生活するということは、ある意味自分自身と向き合うこと。

これまでは相手を大切にしようとするあまり、

自分自信が蔑ろになってしまうことが多かった私ですが、

これからは自分も大切にできるような私でありたいな。

きっとそれが巡り巡って相手を大切にすることにも繋がるし、

それが循環し続ける関係性でありたいと思ったのでした。