穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

自分から声をかけるハードル

お題「#この1年の変化」

 

ずっと家で仕事をしてるよ。

毎日夜ご飯を19時ごろに食べられるようになるよ。

ダンスのイベントはことごとく中止になるよ。

友達との予定も全部中止かオンラインになるよ。

 

まさか1年後にこんな生活をしているなんて、

1年前の私は想像もしていなかった。

 

リモートワークの生活への影響は大きい。

通勤時間が空き時間になり、

資格勉強にゆっくりと時間を割くことができたし、

いつも夜ご飯を待たせていた彼に待たせることなく

一緒にご飯を食べられるようになった。

 

仕事面では、

周りの人の声や音を気にしなくて済むようになって

だいぶストレスが減ったように思う。

リモートが寂しくて辛いという人も中にはいたけれど、

私はリモートになって本当によかったと思っている。

リモートでも出勤してもできることが変わらない職種なら、

自分の特性に応じて、よりパフォーマンスの上がる

安心できる環境を選べる世の中になったらいいな。

 

 

ただ、この1年で、私の交友関係は一気に狭まった。

 

 

それまでダンスでつながっていた友人たちと、

イベントに向けた打ち合わせ、リハーサル、

舞台を一緒に観に行く機会、

そういったものが一気になくなってしまって、

会う口実がなくなってしまった。

 

元々自分から友達に声をかけて、

遊んだり出かけたりすることはあまりなかった。

そんな私にも、声をかけてくれる人がいたから

私はそれが嬉しくて、

限られた声をかけてくれる人たちとの関係を続けてこられた。

 

私は踊っていたから、人と繋がれていたのかもしれない。

 

自分から人に声をかけられない、

「人見知りの極み」みたいな人間だったけど、

踊る私をみて興味をもってくれる人がいた。

ダンスを通じてなら、人と関わることができた。

 

私は元々完璧主義で、

人との馴れ合いみたいなものがあまり好きじゃなかった。

ダンス作品に出演するにしても、

私はダンスをしたいのであって、

人と関わりたいわけじゃなかった。

人数の多い作品の時は特に、

リハーサルの途中でも他のメンバーと雑談をするより、

練習をしてもっと上手くなりたかった。

練習が終わったらみんなとご飯に行くよりも、

早く家に帰りたかった。

 

多分、浮いていたと思う。

決して人を攻撃することもしなかったから、

いじめられたりもしなかったけれど、

人付き合いの悪いクソ真面目な奴がいるなぁくらいには

思われていたと思う。

周りの皆がどんどん仲良くなっていく中でも、

私は練習しているか端っこでニコニコしているだけで、

一向に馴染める感じがしなかった。

馴染みたいとも、そんなに思っていなかった。

 

でも、そんな中でも、

私のことを気にかけてくれる物好きな人が現れる。

そうすると、その人が私のことを周りの人に話してくれて、

だんだん私に興味をもってくれる人も増えた。

少しずつ友達ができて、

いろんな作品に声をかけてもらえるようになって、

ご飯や遊びにも誘ってもらえるようになった。

 

私はなぜかとても人間不信だ。

だいたいの人に対してMAXの警戒心をもって接している。

その壁のせいで、最初の内はなかなかうまく話せなかった。

それでもそんな私に根気強く関わってくれた人たちのおかげで、

少しずつ私を知ってもらえて、

踊っている私を知っている人たちのことは、

徐々に信用できるようになっていった気がした。

 

私が人として成長するのを暖かく見守ってくれた人たち。

「あのおさかなさんが、こんな風になるとは!」

と驚かれるほど、数年で私は見る影もないほどに変わった。

自己表現も上手になったし、

人との関わりを大事に思うようになった。

今でもその仲間たちにはとても感謝していて、

その人たちのおかげで今の私がいるのは間違いない。

なのに、こんなに簡単に疎遠になってしまったことが

寂しくて、悲しくて、驚きでもある。

 

これまでどれだけ声をかけてもらっていたことか。

相手が私に興味をもってくれることは

当たり前のことじゃないのに、

興味があれば声をかけてくれるだろうと高を括っていたんだろう。

コロナで作品を発表する場が激減した私は、

SNSでも自分から発信することがなくなった。

発信がなければ、興味ももってもらえない。

当たり前のことなんだ。

これまでずっと友人たちの好意に甘えてきたことに、

痛いほど気づかされる1年。

 

大事にしたい友人が大変そうな時、

声をかけることができたか?

いや、できなかった。

大事にしたい友人の誕生日に、

一言思いを伝えることをしたか?

いや、しなかった。

 

人との繋がりは、一度繋がったからといって

放っておいても続いていくものじゃない。

どんなに強い絆だと思っていたものでも、

解けていってしまうことはある。

大事にしたい繋がりは、

自分から努力して続けていかない限り、はかなく消える。

今私は何をすべきだろう。

人に安易に会い辛くなった今、

誰かに自分から声をかけることが

前にも増して高すぎるハードルに感じる。

 

本当に大事なものは勝手に残る。

本当にそうだろうか。

私は本当に大事なものを見極めて、

大事にできているのだろうか。

大事なのに、つかみたいのに、

コロナを言い訳に手放してしまったものはないだろうか。

 

そんなことを考える1年。

彼と一緒に過ごす時間が増えたからこそ、

自分が大事にしたいものを明確にしないと、

どんどん不自由になっていく気がした。

「彼さえいればいい。」

それも本音に近いのかもしれないし、

実際彼がいなかったらこの1年相当キツかっただろうと思う。

でも、彼には彼の人生があって、私には私の人生がある。

取り戻すのか、新しく掴むのか、

私は、私自身に問われている。

 

物理的でも心理的でも、

会いたい人に会いに行こう。

自分から「会いたいです」と伝えよう。

2021年度は、そういう1年にしたいな。

f:id:anaodo:20210223220605j:plain

勇気を出して会いたい友人に「あいたーい」と声をかけるおさかなさん