穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

「当たり前」に気づくこと

昨日は久しぶりに険悪な雰囲気になった。

そもそもの前提として私のホルモンバランスが崩れていて、

小さなことが気になる時期だったというのがある。

 

きっかけはとてもとても小さなこと。

私が彼の小さな誤魔化しを指摘したことからはじまった。

それについては彼が謝ってくれておさまった。

ただその後、「何か言いたいことある?」と彼に聞いたら、

「仕事中に掃除されるのがちょっと嫌だった。」とのこと。

 

彼は持病の関係で姿勢を保持するのが大変なので、

どんな体勢で過ごすか、

また快適な姿勢を崩さないことが大事だったりする。

私が掃除をするために「ちょっとどいて」と言ったり、

「足を上げて」と言われると彼にとってはストレスになる。

しかもそれがストレスフルな仕事中であれば、

その度合いはさらに上がることになる。

 

掃除中に仕事をされるのが嫌なことはよくわかった。

そしてそれにイライラしてしまうのも仕方がないことだ。

でも私は悲しくなった。

私は二人のために掃除をしているつもりだったから、

それが彼にとってはイライラの種になっていたことが

悲しくてしかたなかった。

 

タイミングさえ間違えなければいいだけの話だ。

仕事中じゃなければよかったのだ。

一応、「じゃあ次はタイミングを改めよう」という話になったけど、

どうしても悲しくてモヤモヤしていたので、

なんとか自分の気持ちを伝えた。

 

「タイミングが悪くてイライラさせたのは申し訳ないけど、

 二人のために掃除をしているのに、

 感謝の言葉もなく、ただ嫌だとだけ言われて悲しい。」

 

言葉にしたら、涙が出てきた。

私は「あなたのために掃除をしているのに」というのを

押し付けたくないなと思っていた。

でも私がそう言われて「悲しい」というのは

紛れもない事実だから、伝えたかった。

 

ゴミが気になって変なタイミングで掃除をしはじめたくなるのは

私自身の欲望に基づく行動だから、

掃除をすることで必ずしも感謝されるべきだとは思わない。

でも、一緒に生活していて、

お互いに部屋を汚す可能性がある人同士なら、

例え掃除は主に自分が心地よくいるためにやっていることだとしても、

同居人からの感謝の言葉の一つくらいないと

気持ちの折り合いがつかないんだなと思った。

見返りを求めているつもりは全然なかったのに、

どこかで見返りを求めている。

そのギャップに自分で驚いたけれど、

きっと実際に存在している気持ちなんだと思う。

 

彼はそこまでゴミが気にならないので、自分からは掃除をしない。

でも私はゴミが気になるから、自分の快適のためにも掃除をしたくなる。

ただ、掃除をすることは二人にとってメリットがある。

一人は実際に掃除をすることで

綺麗で快適な部屋というメリットを手に入れられるが、

もう一人はそのメリットを、求めずして手に入れられる構造がある。

最初から求めていないのだから、

やってほしいこと、やってもらって嬉しいことの対象にもならない。

よくよく考えたら、今日も部屋が綺麗で快適だな〜くらいだ。

 

こういうのはカップルとか夫婦あるあるなのかもしれないけれど、

頼んでいないことでも二人にメリットのあることであれば、

感謝をする気持ちは大事なんだろうなと思う。

例えば担当が決まっている家事であっても、

自分が気にしていないことであっても、

生活に必要なものであればそれはやってもらって当たり前ではない。

逆にやって欲しくないことがあるなら、

それは伝えないといけない。

だって、どちらか一人の生活をもう一人が支えているわけじゃなくて、

二人で共同生活を営んでいるんだから。

 

何事も当たり前になると、ありがたみがなくなる。

でも本当はなにも当たり前なんかじゃない。

今日も笑っていられること、

ご飯を作ってくれること、

ただそこにいてくれること、

全部、本当はいつなくなってもおかしくないことでもある。

 

昨日の夜、険悪な雰囲気になって、

話し合ったけれどなんとなく微妙な空気で眠りについた。

今日朝起きた時もなんとなくもやっとしていた。

でも、彼の寝顔を見ながらふと思う。

昨日の夜はすごくイライラしたけど、

今日も生きてここにいてくれてるんだな。

昨日の夜はすごくイライラしたけど、

昨日に至るまでたくさん笑顔と元気をもらってきたな。

 

何か劇的に解決したわけでもないはずなのに、

そう思ったら、いろんなことがどうでもよくなってきた。

私の方も、彼に「当たり前」にもらっていたものが

見えなくなっていたんだと思う。

 

昔だったら同じような出来事があったらもっと長時間引きずっていた。

でもぶつかって仲直りしてぶつかって仲直りしてを

何度も何度も繰り返すうちに、

壊れてもまた直せるって

どこかで信じられるようになってきた気がする。

 

レジリエンス

 

この言葉がふと頭に浮かんだ。

簡単にいうと「落ち込みからの回復力」を意味する言葉だ。

多分私たちにとって落ち込まない(喧嘩しない、険悪にならない)、

というのは現実的ではない。

でもそこから立ち直る(喧嘩しても信頼して話し合う)

ことができれば、それで十分なのだ。

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何度も何度も棒を倒しては砂を集めてを繰り返しているおさかなさんと彼

昨日の件についてはお互いに謝るべき部分があった。

きっといいことも悪いこともいつだってお互い様。

「ありがとう」と「ごめんね」と素直な気持ち。

当たり前を当たり前にせずに、

新鮮な気持ちで相手と向き合い続けること。

それを忘れずにいられたら、何度壊れても回復していけるのかな。

それが難しいんだけどね〜。