穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

ADHDというカテゴリーの役割

先日彼のADHD傾向についてお話ししましたが、

最近彼は自分がADHDなのでは?という仮定の上、

どう工夫したら自分が困らなくて済むのかを考えることが増えたようだ。

anaodo.hateblo.jp

 

ちなみにADHDが何かを知らない人もいるかと思うので、

簡単に説明をしますと、

「注意欠陥・多動性障害」という脳の機能障害です。

①不注意で忘れ物やミスが多い

②多動性でじっと座っていられない

③衝動性で思いついたことをすぐに言ったり、行動にうつしてしまう

上記のような症状が全部ある場合もあるし、

不注意だけが強い人もいたり、衝動性が特に強い人がいたり

・・・・・という感じです。

 

ADHDの大変なところの一つとしては、

周りから見ると、ただミスが多かったり、

怠けていたり、我慢ができない人みたいに見えてしまうこと。

本人としては一生懸命努力していても、

特性上どうしてもミスが出てしまったり、

じっとしていられなかったりする。

自分は努力が足りないんだと本人も自分を追い詰めてしまって、

体調を崩してしまったり自己肯定感がズタボロになったり。

 

脳の機能障害なので、

服薬などである程度コントロールできる場合もありますが、

本人の意思の強さとか、努力で特性が消えるものではありません。

でも、生活でいろんな工夫をすることで、

ADHD的な特性自体は無くならないとしても、

自分の特徴をうまく活かすことができたり、

生活で困っていることを軽減することができます。

 

中にはそういった工夫を知らず知らずのうちにやっていたり、

周りにうまくその人の特徴を活かせるサポーターがいたりすると、

自分がADHDだと気づくことすらないかもしれない。

生活で困っていなければ、診断を受ける必要もないのだから。

 

彼の場合は、

これまでは自分がパーキンソン病だという認識しかなくて、

周りの人にもパーキンソン病として認識されていた。

だから自分の困り事はパーキンソン病でしか説明できず、

不注意、多動性、衝動性についての困り事は、

どのように配慮してもらえば生活しやすいのかわからなかったそう。

だからできないことは自分は努力が足りないとか、

できないことを説明しても「もうちょっと頑張って」で終わってしまう。

 

でも最近、自分の中のADHD的な特性を自覚し始めて、

同じADHDの人に相談をしたりしている。

「あるある」をシェアしたり、

それについてどう工夫しているかをシェアして、

自分がこれからどう動いていけばいいのか考え始めている。

 

私は彼のADHD的な特性には割と初期段階から気づいていた。

ただ私にとって彼がADHDかどうかはどうでも良く、

生活する中で困ったことを一緒に解決できればそれでいいと思っていた。

ただ、今の彼の仕事上の困りごとの多くはADHD的なもので、

それを私以外の他の人にもわかりやすく伝えるためには、

ADHD」という言葉にして伝える方が効果的なのでは?と思い、

先日、数年越しに、彼にその言葉を投げてみたのです。

でもそうすることで、彼は急に動き出しました。

 

こうしたカテゴリーや枠組みがあることって、

時に煩わしいけれど、時に拠り所になる。

彼の気持ちや言動で私や周りの人には理解できないことが、

ADHD当事者にはするすると理解してもらえる。

そしてそれによって彼の中にあった何かが救われはじめているのが見える。

 

「すごい理解できる!」

「わかる!!」

「そういうことかぁ〜〜〜・・」

「励まされた!」

 

ほんの数日前に言葉にした一つのカテゴリーとしてのADHD

彼は診断こそ受けていないけれど、

これで生活がしやすくなったり、

生き生きと自分らしさを受け入れて生きていけるなら

儲けものなんじゃないかと思います。

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ラベルって邪魔だけど、ラベルっ便利