穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

カテゴリーに飲み込まれない

先日からADHDについて書いていますが、

私は病名や障害名のカテゴリー名のみで

自分の困り感を説明することには懐疑的です。anaodo.hateblo.jp

 

なぜかというと、カテゴリーはその人を正確に説明し得ないし、

人もまたカテゴリーのなかに納まりきらないから

 

ADHDなんです。」

 

と言われても、話を聞いている人には

その人がADHDというものらしいということしか伝わらない。

 

ADHDだからなんなのか?

何に困っているのか?

どうすればその困り感は解消されるのか?

 

そういうことはADHDの人がみんな共通でもっている項目ではなく、

個人と環境の兼ね合いでそれぞれ異なるはずだからだ。

 

ADHDなんです。」

 

ただ単にカテゴリーを示すことは本人も周りの人も混乱させるだけだし、

周囲の人にとっても不親切なことだと思う。

ADHDなので、諸々許してくださいみたいな、

ただの言い訳に聞こえてもしまうだろう。

それでは意味がないどころか、印象も悪い。

 

カテゴリーを示すことは、

人だったら出身地を伝える程度のことなんじゃないかしら。

その出身地にもっているイメージはそれぞれあるだろうけど、

その人がどんな人かは、具体的に話していかなければわからない。

 

ADHD星の出身であることを伝えると、

相手にはぼんやりとどんな感じかイメージがつく。

でもそれはある意味、偏見や先入観で構築されたものだ。

もし自分の困り感を説明するためにカテゴリーを使うのだとしたら、

ぼんやりとしたイメージで丸投げするのはお互いにとって

デメリットしかないと思う。

言われた相手はこの人が何に困っていて

どうしたらいいのかを考えることを

全て押し付けられているように感じるかもしれない。

腫れ物に触るような心地の悪さを感じるかもしれない。

そして互いによくわからないまま対応が進んでいくと、

本人も求めている配慮を得られる可能性も低くなる。

 

結局、「ADHDだから」配慮が必要なのではなくて、

「すぐに必要な物がなくなってしまって困っているから」、

なくならないような工夫を許してもらう必要があるということ。

 

最近は大人の発達障害とかうつ病とか、

目に見えない障害や病気が一般の人にも広く認知されるようになってきた。

それはとても大事なことでもあるけれど、

そのカテゴリー名を伝えたら、

相手になんでもわかってもらえるという訳では決してない。

わかってもらいたいと思う時は、

きっと具体的に伝える必要があるし、

共通言語を作っていく必要があるはずだ。

 

それでも!カテゴリーがあることには意義がある。

それは自己理解・自己受容や仲間作りの指針になり得るという点だ。

 

ADHDというカテゴリーは、

「私はADHDです」と名乗るためではなくて、

ADHDの人の傾向を知り、

ADHD特性を持つ自分が悪い訳ではないと受け入れ、

ADHDの人たちがどう生きているかを学び、

ADHDの人たちと励まし合い、

自分が自分らしく生きられる環境を構築するためにこそ使われたら、

自分にとっても、自分の周りにいる人にとっても、

いい方向に進むんじゃないかなぁと感じています。

 

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と、ここで、昨日の夜のお話です。

夜散歩に出かけようとした私たちですが、

彼が家の鍵が見つけられず、なかなか散歩に行けませんでした。

「でかけるぞー!」となっている時に、

何かが見付からなくて探し回るパターンは、彼あるある。

(※詳しくは過去記事をご覧ください↓)

anaodo.hateblo.jp

 

結局、鍵は彼の座っていたソファの脇に落ちていたのを私が見つけ、

無事散歩にはいけたのですが、

せっかくでかける気満々だったのに、

出端を折られてしまって、凹みMAXな彼。

散歩でデザートをゲットして帰ってきても

しばらく凹んでいました・・・。

 

【昨日の事件での彼の困りごと】

・大事なものをすぐに家の中で見つけられないこと

・その時に周りの人にイライラされてしまうこと(主に私)

 

【どうして見つけられないのか?】

・鍵をいつも財布に入れていたが、財布に入れ忘れた時、

 置き場所が定まってないためその辺に転がってしまう。

・そもそも財布を持ち歩かない時もあるので、

 財布に鍵を入れるハードルが高くなっている。

 (家に帰る→財布を探す→財布のチャックを開ける

  →鍵を入れる→財布のチャックを閉める)

 

・探している時も視野が狭まりがちで、視界に入りづらい。

 探したつもりの場所から物が発見されることが多い。

・私もいちいちイライラせずに、そんなこともあるさと考え、

 これからはなるべく無くさずに済む方法を一緒に考える。

 

【解決策】

財布に入れるハードルが高くて置き場所が定まらないなら、

もう少しハードルの低い置き場所を別に設定すればいいのでは?

 

ということで玄関から近い引き出しの中に、新たに鍵置き場を設置!

そこなら部屋までの通り道に確実にあって、

鍵をその中に入れてから部屋に入れるし、

家を出る時も、探す場所が定まっているので簡単!

ものを失くしてしまう自分がダメ人間なのではなく、

自分が困らないように、困り事が起きる構造を放置しなければいいのだ。

 

しかもこれは彼が自分で考え出した解決策です。

ひとまずこれでしばらくやってみて、上手く行くか検証していきます。

こんな感じで、困ったことに対して、

ADHDだから失くしちゃうんです!」で終わらずに、

ADHDだから失くしてしまったのは自分の特性上しかたない。

 じゃあどうしたらより困らずに済むかな?」を考えられると

建設的なのではないかと思います。

(※もちろん何事にも解決策を考えるべきということではなく、

 自分が生きやすくなるために・・にという視点が大事だと思います。)

 

カテゴリーに「人」の個別性が飲み込まれてしまうことがありますが、

できればカテゴリーの力を「人」が活用していけたらいいんじゃないかな。

自己理解や自己受容、工夫のアイディア探しには

存分にカテゴリーを活用し、

誰かに伝える時にはまるっとカテゴリー頼みにするのではなく、

より噛み砕いて具体的に伝え、

その後ろ盾(根拠)としてカテゴリーを活用していくことが、

よりよい環境づくりの上で重要なんじゃないかなぁと

思ったおさかなさんでありました。

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困っている彼と応援するおさかなさん