穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

原動力としての怒り

「怒る」ってすごいなぁって。

 

怒りのエネルギーを最近私は忘れかけている気がする。

 

世の中には理不尽なことが沢山あるけど、

今の自分は正直現状の仕組みで

そこまで困っていないんだと思う。

適応してきたのかもしれない。

 

それは未来も困る見込みがないとか、

身近に困っている人が全くいないということではなくて、

ただ単純に今自分は実感として困っていないから、

色々な理不尽に注意が向いていないだけ。

 

良く言えば安定しているというか、

平和ボケしているというか、

狭い世界で生きているというか。

 

一昔前の私は、いつも必死だった。

いつも「どうして私は・・」「どうして社会は・・」って

不満もあったし、悲しみもあったし、

悔しさや怒りのようなものも湧いた。

気分のアップダウンもめちゃくちゃ激しくて、

メンタルの不安定さがもはや私のトレードマーク。

認めてもらえていない、

正当に扱われていない、

大事にされていない、

社会や組織に対してそう感じることも多くて、

怒りや悔しさが行動の原動力みたいなところもあった。

 

ダンスに全力をかけていたのも、

きっと私のことを認めてもらいたかったから。

仕事で期待される以上に働こうとしたのも、

きっと私をもっと評価して欲しかったから。

必要以上に相手に尽くそうとしちゃうのも、

きっと私も同じように大事にされたかったから。

 

でも今の私は、

多分満たされている。

私のことを認めて評価してくれる組織にいて、

私のことを大切にしようとしてくれる彼がいて、

決して高収入ではないけど、

安心して生活できる程度の収入があって、

快適な家に住んでいて、

多少の仕事のストレスはありつつも、

穏やかで幸せな毎日だ。

 

世の中には理不尽なことが沢山ある。

それの一つ一つに怒るほどのエネルギーはない。

でも自分が大事にしているものが蔑ろにされたり、

蔑ろにされうる状態は、放っておきたくはない。

 

今日、理不尽な事態に怒る友人たちと話していて、

あぁ、私はなんだか、

随分といろんなことを他人事にして過ごしてきたなと思った。

それはもしかしたら、

ずっと自分事として、

ずっと心の中で戦い続けてきて、

それに心底疲れていたからこそ、

今、安心に浸りたいっていう気持ちが

大きいのかもしれない。

 

自分自身がある程度安定して、満たされたら、

今度は自分以外にもその安らぎを感じて欲しいって、

私はなれるのだろうか?

自分だけがよければいいやってなってしまわないかな?

これまでは自分が生き延びるので必死で、

主に自分のために怒って主張していた感じがするけど、

本当の意味で誰かを支えるとか、

何かと闘う時って、

自分自身に余力がないと難しい気もする。

自分自身がハングリーだからこそ出せる力ももちろんあるけれど、

基盤がしっかりしているからこそ出せる力もあるはず。

 

それでも、やっぱり、

どこかで私はこのままでいいのだろうか?

っていう疑問がつきまとう。

純粋に理不尽に対して怒っていたあの頃の私は、

行動力もあって、使命感に満ち溢れていた。

「怒り」や「満たされなさ」が大きな原動力として機能していた。

それがとても疲れることだったのも事実だし、

戦い続けることは強制されるべきことじゃないのもわかってる。

うーーーん。

なんだかとても考えさせられた1日だったのでした。

 

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何と戦ってるのかよくわからないおさかなさん