動機の興味と目的の興味
おさかなさんとお散歩をする。
お散歩するときはiPhoneを家に置いていく。
だからお散歩はお話しの時間になる。
いつもだいたいぼくがぼくの話をしている。
おさかなさんはそれが嫌ではないみたい。
おさかなさんは自分の考えてることをあまり言葉にしない。
おさかなさんの気持ちを、Twitter経由で知ることは少なくない。
一緒にアニメをみても、その感想をぼくには言わないのに、Twitterに書いてあったりする。
どのシーンのどのキャラクターのどのセリフがおさかなさんの印象にのこっているのかわからないし、果たしてこのアニメを楽しめているのか、はたまた、ぼくが好きなものをおしつけているだけなのか、わからない時がある。
ぼくはぼくの好きなものを知って欲しいし、共有したいとおもっているのだけど、その感覚は必ずしも一致していないみたい。
知ろうとする努力が足りないのかな。
最近はあんまりないけど少し前はよく、
"わたしに興味がないみたいに思える"
って言われて落ち込んでいた。
ぼくがぼくの話をたくさんしてしまうのは、おさかなさんにもっと知って欲しいと思っているからで、おさかなさんがぼくに興味があるとおもって話しているわけではないのだけどなぁ。
つぎのお散歩の時は、おさかなさんがたくさん話してくれるといいなあ。
そんなことをおさかなさんの寝顔を見て、おもうのであった。