穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

生理前かもしれない

「生理前かもしれない〜」

 

彼の発言である。

彼は生物学的に男性なので、おそらく「生理」はこない。

 

しかし情緒が不安定な時とか、

些細なことでイライラしてしまう時、

その言葉を私との共通言語として使うことがある。

 

女性にとって生理前といえば、

体の不調が目立ちはじめたり、

小さなことでイライラしたりするタイミング。

私も生理前になると感情的になったり、

あからさまに余裕がなくなり、

許容範囲が狭まるのを実感する。

そしてそのしんどさは、

多くの女性のなかで共有されていると思う。

 

男性には「生理」という現象はない。

ただそこに起因してないかもしれないけれど、

そういう症状(イライラ、余裕のなさ)が起きることは

誰にでもあるはずだ。

 

男なのに都合よく「生理前」とか言うのはずるい!

と思う人もいるかもしれないけれど、

私にとっては、そのしんどさがよく理解できるので、

「あぁ、今はそういうタイミングなんだな」って思えたり、

「私のことが嫌いで当たってるんじゃないんだな」と思えるので、

特に違和感なく二人の間では使われている。

 

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私は「しんどさ」とか「辛さ」を誰かと比べることは

とても強引で危険なことだと思っている。

先日の震災に関する記事でも書いたけれど、

客観的に見て大きな被害を受けたりハンデを持っているかどうかと、

主観的に感じる「しんどさ」や「辛さ」の度合いは、

簡単に比例しないと思っている。(ある程度はするかもですが)

 

一般的に見て物凄く大変な状況の中にいても、

それにストレスをそこまで感じない人もいれば、

同じ状況でもストレスをとても感じる人がいる。

 

逆にさほど大変そうでもない状況の中だけど、

めちゃくちゃしんどいと思っている人もいれば、

見たまんまなんとも思っていない人もいる。

 

同じ出来事や状況からでも、

人それぞれ受け取るものが違う。

 

自分にとっては大したことなくても、

他の人にとってはすごく辛いことかもしれない。

自分にとっては辛いことでも、

他の人にとっては大したことないことかもしれない。

 

自分のしんどさのものさしで、

誰かのしんどさを測ることは、

強引で敬意にかけることだと思う。

さらに自分よりも楽な状況にいるくせに、

その程度でしんどいなんて言う奴はおかしい!と勝手に比較することは、

悪い影響しかないのではないかと思う。

 

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「生理前」現象でしんどそうな彼

 

彼には生理はこない(はず笑)。

でも私が生理前の時みたいにしんどいということ。

そしてそれは生理が実際にある私よりも、

彼の方がしんどくないということではないし、

彼には彼なりのしんどさがあって、

それが私にとっての生理前のしんどさに

似ているというだけのことなのだ。

 

昨日も今日も、彼は少し不安定。

昨日は浮かない顔していたので、

「何か思ってることある?」と聞いたら、

黙り込んでしまった。

今日も彼が言ったことに対して、

「そんなことないでしょ」と言ったら、

とても凹んでしまった。

 

私には彼のしんどさは測れない。

測る技量も資格もないのだ。

測れないし、わからないからこそ、

彼の主観的な主張を蔑ろにしたくないし、

自分自身がしんどい時は、

このくらいで「しんどい」なんて言ってたらいけない!とか

決めつけずにそう言えるようでありたいし、

勝手に他人のしんどさを過小評価してしまわないようにしたい。

そうするだけでも、世界は少し優しく、

そして寛容になるんじゃないかなーなんて思うのでした。