穴があったら踊りたい

おさかなさんと彼の平凡で特別な日々です。そんな日々をドキュメンタリー映像にしようと目論んでいます。

迷子

私は何がしたいんだろう。

どんな人生を歩みたくて、

どんなことを幸せと感じるんだろう。

 

その答えは自分の中にしかないはずなのに、

なぜかその答えを外に探し始めてしまうことがある。

 

子供の頃は、自分の現状をリミットにすることなく、

これからの自分には今の自分にはない可能性が沢山あると信じていた。

 

幼稚園生の頃はバレリーナになりたかった。

小学生の頃は漫画家になりたかった。

中学生の頃はミュージカル俳優になりたかった。

高校生の頃は臨床心理士になりたかった。

大学生の頃は教育・心理学関係の研究者になりたかった。

大学院生の頃には、教員になろうと決意した。

 

歳を重ねる度、

だんだんと現実的な目標になっていったけれど、

きっとその時その時で私は目標を持って生きていた。

教員になる目標は、実際に達成した。

2年間勤めて、やりがいもあったけど、

精神的な負担が大きすぎたのと、

やめられなかったダンスとの両立が難しくなって

結局今の職場に転職した。

 

もう一度大学院に戻って研究をしようかと思った。

 

でも、研究計画書がかけなかった。

明確な課題意識がなくなっていた。

 

少し休憩しながら、本当にやりたいことを探そう。

そう思って数年が経った。

 

教員時代に本気で取り組めなかったダンスに思う存分取り組んだ。

自分なりのできる限りを注いだ。

ついに一人でソロ公演をするまでに至った。

やり切った感じがした。

ダンスに対しても、これまで自分が抱えていた感情についても、

やっと本気で向き合えて、昇華できた気がした。

自分はこういう人間ですって、言えた気がした。

 

それからまた数年が経った。

 

いい大人になった今、

私はどんなことをして、どんな人でありたいんだろう。

 

昔とは違って、だんだん現状のリミットを加味して、

やりたいことを表現するようになった気がする。

できそうな範囲のことを、やんわりと願う。

立ち止まっているのは少し心地が悪くて、

いつも何かを私なりに頑張っていることにしていた。

 

私の大事な人が笑顔でいてくれたら、それでいい。

 

これはきっと嘘じゃない。

でもそのために私は何をするんだろう。

何かしなければいけないのだろうか?

わからなくなってしまった。

自分の中にしか答えはないのに、

なぜだか外側にばかり探してしまう。

 

「私は〇〇な人になる」

「私は〇〇する」

 

私たちはいろんな願望を持っている。

理想や願いを持って生きている。

でもそれを胸を張って「やるんだ」と言い切れる人が、

どれだけいるだろうか。

 

それがどんなに難しいことでも、

今の自分には到底無理に思えることでも、

自分がそう願うことを肯定し、自分で自分の背中を押すこと。

 

願うのは本来自由なのに、

自分で自分の願う自由すら奪ってしまう。

私は何がしたいんだっけな。

どんな人間でありたいんだっけな。

きっとどこかに探しに行って見つけるものじゃない。

もうそこにあるんだから、

覆っている蓋を外して、ホコリを払っていけばいいんだろう。

 

大人になっても迷子にくらいなるさ。

自分のやりたいことに向かって進み始めた彼の背中を見ながら、

ぼんやり考えているおさかなさんでありました。

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迷子の迷子のおさかなさん